Indian Creek Moab周辺の岩場をめぐる砂漠の旅

Hiromi & Shinichi Izuchi

アーチズ国立公園
 
Dreams come true 

 その記事は「岩と雪」152号にあった。まだ僕がクライミングを始めてまもない頃だ。
 「世界には、スゲー場所があるもんだなあ。」 あまりにも青い空、あまりにも赤い岩、それを断ち割るかのようなクラック、そして、ジャミングではれあがった指…。そこに書かれたクライミングの世界は僕を魅了し、読むたびに夢の世界へ連れて行ってくれた…。インディアンクリーク。
 実際の話、当時の僕はその記事のみならず、「岩雪」に掲載されるほとんどの記事に、多かれ少なかれ魅了されていたわけであり、印象深い記事は数多い。しかし、その中でもインデアンクリークの記事は、なにか魔物のように格別に僕を捕らえていた。恋にも似た感情。まだジャミングなんてした事もないのに。
「いつか行ってみたいもんだ。まあ、でも…。夢、だけどね。」
やがて偶発的で奇妙なめぐり合わせの積み重ねによって、夢は現実となるのである。

砂漠へ

  2000年4月末、日が西に傾きはじめたソルトレイクシティ空港に降り立つ。これが事もあろうに新婚旅行!そして、夢にまでみたインディアンクリークに行けてしまうのだ。
  空港で白のマーキュリーを借り、7セットのカム類を含む大量のギアをトランクに押し込んだら、さあ出発だ。これから始まる16日間のドライブに胸ははちきれんばかりに踊っている。まずはベースとなるモアブに向けて約400km。Go!!
  ワサッチ山脈を越え、プライスの街へ(ここで1泊)。そしてどこまでも続く広大な荒地を横切って、コロラド川にむけてゆっくりと下って行く (この途中1回警察に捕まる)。
  モアブまでもう一息の国道80号の南まで来ると、ある所で突然景色が変わった。というか、景色の「色」が変わった。ゆっくりと標高を下げて行くうちに、ついに地層の境界を越えて下側の層に入り込んだ。それまで白っぽくてひたすら平坦な砂漠だったのが、あの「すべてが赤く、にょきにょきした世界」に入ったのだ。そしてこの赤い大地は、遥か下流のアリゾナ州グランドキャニオンまで絶え間なく続く。広大な「キャニオンカントリー」の心臓たるモアブの街はもう目の前だ。
  
  モアブではギアを買ったりして、さらに70kmのドライブ(ここではヒロミも運転した!)。その日の午後にはインデアンクリークに入った。
  キャニオンの入口、ニュースペーパーロックのキャンプ場にテントを張って、とりあえず岩場を見に出かけることにした。車を走らせていくと、道路沿いに次々と岩場が登場してくる(ドキドキ)。そして、下っていくにしたがってどんどん岩がデカくなる。でも、どれがどの岩場なのかさっぱり分からない。
  と、手に汚らしいテープを巻きつけた人物を発見。クライマーだ。
「どーもー。私日本から来たよ。あなたクライマーあるか?どれがどの岩なんだ?どこにテント張ってるの?水はくめるあるか?」と矢継ぎ早にまくしたてる質問に対し、「OK。だまって俺の車に付いてきな。」 そして、ドネリーキャニオンの駐車場に案内された。あの時の興奮とその後の幸福は今も忘れない。
  その駐車場からは、スーパークラックバットレス、バトル・オブ・ザ・バルジバットレス、ドネリーキャニオンの三大人気エリアが一望に見渡せ、アプローチはいずれも 5〜15分。世界一のクラックたち、僕にとっては初恋のクラックたちが手に取るほどの距離にある。我々はついにクラッククライミングの聖地にたどり着いたのだ。



 案内してくれた二人連れは、デンバーから6時間運転して来たそうだ。
  「おまえは、ここまでクライミングしにきたんだよな?で、アメリカには何のために来たの?」 
  「いや、クライミングだよ。」
  「クライミングだけのためか?日本から?」
  「そう。 いや、インディアンクリークだけのため、かな。」
  「Cool!そいつはスゲー馬鹿だな。でもその価値はあるぜ。えーと、(ヒロミをさして)こいつも  のぼるのか?」
  「もちろんさ。手が小さいから凄いんだぜ。」
  「じゃあ、コインクラックがいいよ。あれはグレートだ。ところで、その妙な帽子はどっから来た  んだ?」
  「さっき、モアブクライミングショップで買ってきたんだ。」
  「わっはっは、あそこは俺も大好きだよ。」

  彼らはテーピングの残りが少ないらしく、前に使って一度はがしたテープをもう一度手にひっつけてなおして岩場にあがっていた。
(翌日岩場で彼らにあったら、また同じテープを使っていた。)
  彼らと分かれ、しばらく峡谷内をドライブしてみる。ここのクラックが素晴らしいことは知っていったが、こんなに素晴らしい景色だという事は、これまで誰も教えてくれなかった。雪解け水でほんの少しうるおった砂漠では、植物たちがいっせい
に芽を吹き、年に数週間しかない緑の季節を迎えている。赤い岩との絶妙なコントラスト。少し走っては車を止め、景色に見とれ、植物に触れ、風の音を聞く。鳥たちの声、牛たちの声。静かな夕暮れ……。僕たちはなんて素晴らしい場所にいるんだろう!

スーパークラック バットレス

  岩質にも少し慣れた3日目。スーパ−クラックバットレスに出かけた。ここの看板ルート「スーパークラック」(5.10)は、おそらく世界で最も有名なクラックの一本だろう。某雑誌の最近の記事によると、「5.10d(?)とは言ってもグレードはかなり辛く、5.12のボルトルートより厳しく感じた」とのこと。でも、こちとら年中クラックばっかり登ってるんだから、5.10が行けないわけない。出発前から、こいつだけは是が非でもオンサイトしたいと考えていた。この日は序盤の山場である。
  ウォームアップの後、気合充分で登り始める。クラックに入るまで8mぐらいのアプローチは…。正直言ってアブナかった。なめて行くと、スーパークラックに触る前にテンションしてしまう事になるから充分気をつけよう。ゼイゼイ言いながらクラック下のテラスへ。そして何度も深呼吸してから、クラックに手を差し入れた・・・。
結果的には、気合が充分すぎて、一気に駆け上がるように登ってしまった。まあ、楽ではないけど、5.10でいいと思う。すごいクラックだけど、同時に少し拍子抜けでもあった。




左がSuperCrack 5.10

  インディアンクリークのクラックは、非常にパラレルであることで知られている。だから、その人の手のサイズというのが、そのルートを登るためのかなり重要な要素となり、はっきりと「向き、不向き」が出きる。スーパークラックにせよ、前日に登った「ジェネリッククラック」にせよ、5.10台の名ルートは、たいていアメリカ男性のでかい手でばっちり決まるサイズだ。これがヒロミの小さい手には相当にきついらしく、うまく登れない。そのうちに彼女は、何やらしょんぼりとしてしまった。
 「シンハンドだったら、きっとばっちりだから、コインクラックとかやってみたら?何とかなるんじゃない?」 と、なぐさめるつもりですすめてみる。この一言を、後でずいぶん後悔することになるのだが。

「コインクラック」(5.12a)も、インディアンクリークを代表するメガクラシックであり、高難度シンハンドのテストピースとして名高いルートである。そして、その単調な美しさはインデアンクリークにおいても比類ない。
  そんなコインクラックに、「そんじゃあ」、とばかりに取り付いたヒロミは、出だしでこそ多少もたついたが、何度かテンションをいれながらも、スルスルと登って行き、僕があっけに取られている間に終了点についてしまったのだ。
  「何とか登れそうだ…。」
  「えっ、マジ?」

僕の手の大きさでは、こんなルートそう簡単には登れるわけがない。そもそも5.12なんて望むべくもない。なのに、彼女にトゥエルブを登られてしまったら、いったいワシの立場という物は…。とりあえず、トップロープで登らせてもらう。何とかテンションなしで上まで登ったが、出だしの10mは、ずっと渾身のレイバック。プロテクションなんて取れっこないよ。早々とあきらめてしまった。今にして思えば、もう少しまじめにやってりゃ良かったかな。

Coyne Crack 5.12a

後悔先に立たず。結局、次にスーパークラックバットレスを訪れた日に、ヒロミはコインクラックをレッドポイントした。彼女にとって初の5.12。初トゥエルブが「コインクラック」だなんて、一体全体、何てこったい。 

エントラーダ サンドストーン  

 このようにクラックしか無い岩場で、15日間もクライミングを続けることは、普通の人間には出来ない。さらに、僕は普通の人間以上に体が弱いときてるから、2〜3日も登るとレストが必要だ。レスト日にはモアブの街に戻り、2泊ほど宿屋にとまって、砂を洗い流す。モアブでの定宿は、1LDKの古いアパートのような造りで、ちゃんとしたキッチンがあり完璧な自炊ができる。日本でもあまり外食を好まない僕たちには、これが実に有り難かった。
  モアブの街は、ユタの砂漠観光の中心地であり、およそ観光客が誘惑されそうなものは何でもそろっている。意志の弱い人は、気をつけないとあっという間に破産してしまうだろう。モアブのすぐ近くの有名観光地であり、ユタのシンボル的存在でもあるアーチズ国立公園でも1日クライミングを楽しんだ。

Moab City

ところで、コロラドプラトーの砂岩の謎を解くには、次の三つの単語を知っている必要がある。「エントラーダ」、「ナバホ」、そして「ウインゲート」。こんなの辞書には出ていない。この界隈の赤い砂岩層は、実はさらにいくつかの層に分けられていて、主要なものにそれぞれ上記のような名前がついているのだ。上から、エントラーダ層、ナバホ層、ウィンゲート層。モアブから、一段上がったところにあるアーチズ国立公園はエントラーダ、モアブから一番近いエリアであるウォールストリートなどは、ナバホ層。そして、ずーと下がったところにあるインディアンクリークはウィンゲートサンドストーンと言うわけだ。

  このなかでウィンゲートはダントツで硬く、クライミングに適した砂岩である。一方エントラーダは、かなり柔らかい岩質で、指先でこすると砂になってしまうような岩だ。したがってアーチズでのクライミングは、ある意味で岩質との戦いになる。
  当然ギアの効きも悪いので、高難度になると、冒険的要素が強くなる。(とは言っても、フィッシャータワーなんかに比べると随分ましみたいだけどね。)我々は、5.10cまでの3本を登った。どれもとても良かった。「アウルロック(ふくろう岩)」5.8は、のてっぺんに立てるのが楽しい。展望台のパーキングの目の前にあり、観光客の注目の的になれる。僕たちは、少なくとも20件のアメリカ家庭のホームビデオに登場したことだろう。さらに驚いた事に「あんな所登っとるガヤ!」なんて名古屋弁が聞こえてきたりもした。 「チャイニーズアイ」5.9+は、壁が大きくて、ビッグウォールにいるみたいだ。パンツの中まで砂だらけになれる。これが砂漠のクライミングだ。 


Chinese Eye 5.9, ArchesNP

そして「ハートオブデザート」5.10cは、本当に素晴らしいルートだった。広めの5.10台は概して苦しい物であるが、この美しいコーナーの苦しさと言ったら…。
 とにかくこのアーチズの地球バナレした景色のなかでのクライミングは、実に楽しかった。

世界で最も素晴らしいハンドクラック?

  インディアンクリークでのクライミングも後半にさしかかってきた。5.11台も何本かオンサイトして、少し自信が付いてくると、どうしても、とびきり長いルートをやりたくなってきた。でかい岩を断ち割る50mいっぱいのクラックこそ、インディアンクリークの醍醐味だ。

 5.11の50mクラックを初見で登るなんて、考えただけでも頭はクラクラして、身震いしてくる。でもそれをやりに来たんだ。そんなルートは2回もトライできるわけがない。オンサイト or ナッシングということになる。
 まずは、ガイドブックに「隠れた宝石」と評価されているリザーバーウォールの「ペンテ」5.11にトライ。50mロープがぴったりいっぱいになるこのルート、前半は、おそらく名前の由来である印象的な五角形のルーフをかすめた後、垂壁を断ち割る25mほどのシンハンドをたどる。その上は傾斜がおちて良く見えないが、やさしそうだ。

  持久力勝負のシンハンドを、苦しみながらも何とかクリア。「俺ってスゲー!」なんていいながら、緩傾斜帯に這い上がり、見上げるクラックは…。どうやら相当見当違いのギアを持ってきてしまったようだ。残りの15mに使えそうなギアはたったの1個。こんなサイズのクラックを、僕が1個で乗り切れるわけがない。完全にしぼんでしまった。 その後も、少しはがんばったけど、やっぱりすぐにフォール。ロープの伸びで相当落ち、ひどいロープバーンを作ってしまう。あとは、1個のギアをずらしながらほとんどエイドで登った。完全に「言わされてしまった」わけだ。でも、素晴らしい体験だった。ギアを読み間違ってはまる、というのもロングクラックの醍醐味?だと思う。この日はこの1本でつかれきってしまった。(上部のサイズ? 自分で見てきてください。)
 そうこうするうちに、インディアンクリークでのクライミングも残り2日となってしまた。かなり疲れ気味だ。

 ブロークントゥースエリアの「無名ルート」
5.11- は、「おそらくキャニオンで最も素晴らしいハンドクラック」と評されている。

Resorvior Wall

「世界一のクラックエリア」で、「最も素晴らしいハンドクラック」って言ったら、「世界で最も素晴らしいハンドクラック」っちゅう事だろ? 42mか…。ロープバーンを包帯でぐるぐる巻きにし、最後の力を振り絞って岩場に向かう。
  「無名ルート」は、出だしから6mぐらいはオフフィンガーの垂直のコーナーになっていて、その上にはハンドクラックがいくつもの小ハングを越えて荒々しく伸びている。ところどころのワイドセクションが血に飢えた獣のようだ。日があたらないせいで寒く、身震いが止まらない。また苦しい時間がはじまる…。
  結局このルートは、1時間以上をかけてオンサイトすることが出来た。今回の訪問で登れた5.11台の中では、これがダントツで苦しかった。最高のクライミングが出来たと思う。ヒロミには寒い中つらいビレイをさせてしまった。申し訳ない。
  意気揚々と懸垂で回収。ところが…。地面に降り立った時には、もう立ち上がるのも辛いぐらい腰が痛くなっている事に気づいた。やれやれ、満身創痍、もうボロボロだ。でも、まあいいかな。充分に登った。

 エピローグ

  そんなわけで、次の日の最終クライミング日は、ビレイに専念する事になった。この日の午後にはここから出て行かなければならない。
  どうした事か、急にはりきりだしたヒロミは、ドネリーキャニオンで、次から次へと新しいルートを登っていく。チョコレートコーナー、エレファントマン、ドレインパイプ…。美しい朝だ。僕は座ってビレイをしながらこの素晴らしい状況を心に焼き付けていく。

  穏やかな日差しの中、ゆっくりと時間は流れる。音はほとんど無い。ここは多分、何千年も前からずっとこんな調子なのだろう。このままこの風景の一部になってしまったら、僕らは永遠の命を手にする事ができるのだろうか?
  それから、僕がこれまでに巡ってきた道について思いをめぐらす。僕がこれまでの何千という分岐点のどこで別の選択をしていたとしても、今、こんな世界の果てみたいな場所で、ビレイなんかしてなかっただろう。選択は正しかった? 少なくともここでこうしていられる事に不足はない。

  ヒロミが最後の一本を登り終える。「さあ、そろそろ家に帰ろ。」 キャンプ場に戻り、撤収。トランクに荷物を押し込む。そして、最後にもう一度、この「愛しい場所」を見つめながら峡谷内を端から端までドライブしてみたい誘惑にかられたが、それを断ち切ってハンドルを右に切った。




古代人の落書 

Newspaper Rock