2005夏のツアー Alpine Climbing in コロラドロッキー

付録:デビルズタワーとニードルズ


Shinichi&Hiromi  Izuchi


Spearheadの終了点にて 後ろはMcHenrys Peak東壁(4062m)

 私の生まれた1964年は、ロイヤルロビンスにとってまさに大活躍の年であり、アメリカのクライミングの歴史の中でも重要な一年であった。 その年ロビンスは、まずヨセミテのシーズンが明けるとともに、Dihedral wallをソロで登り、エルキャプ初のソロクライミングを記録している。夏には、ジム=マッカシー、レイトン=コアらとともに、カナダのローガン山群アンクライマブルズ圏谷のプロボシス南東壁にルートを拓いている。これは辺境の地で行われた、初のヨセミテスタイルでのグレードYの登攀であった。 さらに秋(日本は東京オリンピックに沸きかえっていた頃)には、シュイナードやフロストらとNorth America Wall を初登攀、ビッグウォールクライミングの技術的困難度を飛躍的に伸ばすことになった歴史的なクライミングであった。
 さぞかし忙しかったことと想像するのだが、そのような忙しい年の夏にロビンスは、どうゆうわけかコロラドからワイオミング、サウスダコタといった地域を旅し、いくつかの足跡を残している。
 今回の私たちの旅は、その年のロビンスの足跡をたどる、というテーマのもとに企画されたのであった。

 というのは、全くのうそ。 私たちは、本当はロッキーマウンテンの
Longs Peak東壁"The Daimond" というデカイ壁が登りたくて、そのためにたくさんのトレーニングを積んで出かけていったのであって、それさえ登れれば満足であったのだ。
 ところが現地入りしてみると、今年は異常に残雪が多く、アプローチに冬靴、アイゼン、アックスが必要ということがわかった。これではあきらめざるをえない。 そんなわけで急遽、上に書いたような「テーマ」をでっち上げて、旅を続けることにしたのでした。

 まあ、能書きはともかくとして、私たちはロッキーマウンテンで、

  Spearhead "Sykes Sickle" 5.9+, 10pitchis
  Halett Peak "Culp-Bossier" 5.8, 8Pitchis


 の2本の★★★ルートを登りました。 グレード的にはたいしたことはないですが、長いアプローチと4000m近い標高のなかでのクライミングには激しく消耗させられ、二人とも疲れきりました。 ともにこれまでに見たことのないような美しい風景の中での素晴らしいアルパインクライミングでした。
 その後、
ワイオミング州のDevil's Tower、サウスダコタ州のNeedls に転進しましたが、ロッキーでの疲れが抜けず、たいしたクライミングは出来ませんでした。 まあ、「旅を楽しむ」というような意味では、いろいろ見れてとても楽しかったです。
 以下、詳細です。
                 




Rocky Mountain

Spearhead "Sykes Sickle" 5.9+  10pitchs


 Spearheadという岩峰の存在感は、なんとも表現のしようがない。
 ロッキーマウンテン国立公園内でも最も美しい場所といわれるグレイシャーゴージという圏谷の最奥。周囲を4000m級の峰々に囲まれた巨大なカールに、どん詰まりのChiefs Head北壁から一本の支尾根が下りてきているのだが、その末端が大きく膨らんで、さながら角をかざしたカブトムシを思わせるような岩の塊を形成している。それ自体の標高が3833m。 その白く美しい東壁のど真ん中を、巧みに弱点をついて登っているのが Sykes Sickle である。
 このルートは1958年に初登され、1964年にロビンスによってフリー化されている。5.9+という微妙なグレーディングがされているが、私のような170cmそこそこの人間にはおそらくこのグレードでは登ることは出来ないと思う。ロビンスがどれぐらいの身長だったかはともかくとしても、あの当時のどた靴であれをフリーで登るというのは、やはり驚くべきことである。

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Rocky Mountain

Hallet Peak"Culp-Bossier"  5.8  8pitchs



 
私は自信をもってきっぱりと、「Culp-Bossier を登った」と語ることが出来ない。なぜか?
 このルートは、かつて CulpさんとBossierさんが組んで初登したルートなわけであるが、この二人、どこの国の人なのかよく分からないのだが、とにかく名前を発音するのが非常に難しい。
Culpの方は、カルプではなく、どちらかといえばカップに近い感じで、まあ何とかなるのだが、Bossierの方は、何回教えてもらってもその発音を自分の口で再現することができないのだ。 普通のアメリカ語の発音ではない。 そんなわけで、「Culp-Bossier を登った」と語ることが出来ないのだ。
 まあ、発音なんか出来なくてもクライミングにはそれほど影響しないので、登ることは出来る。 ただ、実際に登ってみて分かったことであるが、このルートの困難さは決してその発音の難しさだけではなかったのである。

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Wyoming


Devil's Tower





 ずっと以前から、「いつか必ず行く」と心に決めていた場所である。 ここに行かなければ、私のクラッククライミングのキャリアは完結しないと考えていた。
 しかし、そのような夢の場所を訪れるには、私たちは疲れすぎていた。 ロッキーでのアルパインクライミングの長いアプローチで、私は足の爪を完全にやられていて、クラックに軽く足を入れるだけで悲鳴を上げるぐらいの状態になっていたのだ。
 そんなわけで、2日間(といっても実質半日×2回)のクライミングを行い、やさしめの★★★ルートを2本、合計で6ピッチぐらい登り、頂上にも立つことができた。  まあ、たいしたものは登っていないのでよく分からないし、そんな私が言うのも何であるが、正直なところ「それほどたいした岩場でないかもしれないな」って気もちょっとしてしまう (3ピッチぐらいだし、ヨセミテやインディアンクリークや名張の名ルートと比べてしまうと・・・)。
 とはいえ、ワイオミングへの旅はなぜかワクワクするようなとても楽しいものであった。


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South Dakota の Needles



 岩の形状が極めて奇異であるだけでなく、ここでのクライミングはそのスタイルにおいても他のエリアとは一線を画するものである。ボルトを打つことを厳しく制限するクライミング倫理がいまも厳格に守られており、かといってクラックが発達しているわけでもないので、多くのルートは厳しいランナウトを伴うものとなってしまう。60年代に初頭されて以来、ほとんど再登されていないルートもあるらしい。 右の写真は、そんな中でも比較的マイルドなTricouni Nail (5.8)。 1964年にロビンスが初登している。 私たちはわざわざサウスダコタ州くんだりまで出かけて、登ったのはこの1本だけ。でも十分に印象的であった。
 このとんがった岩峰、もちろんてっぺんに、ボルトなどの残置物があろうはずがない。では一体どうやって下降するのであろうか?
     (答えは ↓)

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(ちなみにこのすぐ近くに、ジョン=ギルの有名な課題 Thimble なんかもあって、そっちの足跡も一応たどったりみたりしました。)
 




 おまけ
本場のロデオを見に行ったよ!
 
  
本当は、これを登りたかった・・・・ Longs Peak東壁 The Diamond