東海山岳会 海外山行

2007/2/15

「冬期ローツェ南壁 完登」  山行記録 海外
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昨年12月27日 JAC東海支部隊によって、ローツェ南壁冬季初登攀が成し遂げられました。3回のトライにわたって隊を引っ張った隊長の田辺さん、2回目の参加で今回副隊長の千田君はともにうちの会員で、今回の成功と無事の帰還は、私たちにとって大きな喜びとなりました。
以下、田辺さんによる記録。Gによる代理投稿です。
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2003年、2回目の敗退をした時、私はまたここに戻ってこようとは思いもしなかった。登頂へのタクティクスは描けるが、落石のリスクがあまりに高すぎる。2度の挑戦を無事故で切り抜けただけで、我ながら上出来だ。しかし3度目は今度こそ死亡事故が起きるのではないかという恐怖があった。その一方「この壁を登ることはもう2度とできないのか」と思うと、悔しさと悲しさで涙がでた。私はこの壁をどうしても登りたかったのである。そうしたなか、2005年群馬岳連ナンガパルバット登山隊に参加し、ここで剱持典之と意気投合したことから、冬期ローツェ南壁の再々挑戦に向け走り出すことになった。幸い今回のメンバーは、海千山千の強者が6名揃った。クライミングシェルパも前回の15名から18名に増やして必勝を期した。
9月3日日本を出発した登山隊は、まず高所順応トレーニングのため、シシャパンマに向かった。ここで雪の多さに驚かせられたが、10月9日全員主峰(8027m)に登頂しトレーニングの目的を果たした。カトマンズでの休養の後、11月13日ローツェ南壁のBCに入る。今回は同時期、同ルートにリー・チョンジク隊長率いる韓国隊が入っていた。彼らは非常に友好的で気持ちの良い人達であった。そして彼らと共同してルート工作を行うことになった。
3年ぶりの南壁は秋の大雪のため、たっぷりと雪をまとっていた。11月18日登山活動を開始し、21日前回と同じ地点(5900m)にC1を建設した。しかしその後強風が吹き荒れた。本格的な冬の強風ではないものの、その強さは11月28日千田と山本が、6800m付近で10mほど吹き飛ばされたほどだ。フィックスロープに守られているため転落はしないが、前進は困難を極めた。また強風によってチリ雪崩が発生し、それに伴う落石がシェルパ達を襲った。行動をするたびに、荷揚げシェルパの負傷者が続出し、貴重な戦力が失われていった。そうしたなか、12月1日にC2(7100m)を建設、6日ルート工作のための仮C3(7300m)を建設した。そして12月7日仮C3上の困難な岩壁部分を突破したが、あまりの強風に翌日から5日間行動を停止せざるを得なかった。通常プレウインターはクリスマスまでで、その後は寒気を伴った本格的な冬の強風が吹き、登山は不可能となってしまう。そのため我々は当初クリスマスをタイムリミットと考えていた。しかし今や登山は大幅に遅れ、タイムリミットを延長するしかなかった。そして幸運なことに今年はモンスーン明けが遅れた分、冬の到来も遅れたのである。
12月13日より登山を再開した。前回の敗因として、アタックキャンプのC3の位置が予定していた8000mより低くなってしまったことがあげられる。そのため今回は田辺パーティー(山口、ナワンテンジン)がC3までのルート工作を担当し、確実に8000mに届かせた。21日待望のC3が建設され、千田パーティー(剣持、ペマ・ツェリン)がアタックを開始した。韓国隊のアン・チーヨン隊員と共同してルートを延ばす。私の思惑では3日で山頂に達し、日韓同時初登攀をはたすつもりだった。千田パーティーは2003年のラインとは別のラインで、山頂の左肩に突き上げるクーロアールに入り、高度をかせいでいった。そして3日間で8200mに到達したもののここで時間切れとなり、韓国隊も残念ながらここで断念となった。その先は田辺パーティー(山口、ペンバ・チョルテ)が引き継ぎ、1日目の26日、千田パーティーの終了点から200mでクーロワール最深部に達した。前人未到のクーロワールと思っていたのに、意外なことにここまで古いフィックスロープの残骸があった。だれか先人が来ている。クーロワールの最後は、クラックのない20mほどの垂直の岩壁で、とても突破できない。そして先人の跡もここで途切れていた。私がこれまで山頂の左肩に抜けられるものと信じていたクーロワールは、袋小路だったのである。唯一行けそうなラインはクーロワール左手のボロ壁であった。ここを登った場合、稜線に出た後に、ローツェの山頂へは一旦下り、登り返さなくてはならない。しかしここしか取るべき道はなかった。明日に備えてクーロワール左手に50mルートを延ばし、引き返す。翌27日、ボロボロの岩壁を山口が果敢にトラバースしてルートを開いた。そしてガラスの粒のような雪でできた、垂直に近い絶悪の雪壁を越えると、目の前に雪煙をまとったエベレストがあった。15時35分、ついに我々は冬期ローツェ南壁を完登した。標高8475m。ここからローツェの山頂へは直線距離にして200mほどだが、一旦下り、登り返さなくてはならない。今の我々にはその余力がない。潔く山頂はあきらめた。
 今、登山を終えて思う。私にとってローツェ南壁はいつも私を見守ってくれる優しい女神だった。激しい落石と強風に、何度となく追い返されたけれど、3度の挑戦において、1人として命を奪うことなく、凍傷で指1本失うこともなかった。幸運だったといってしまえばそれまでだが、私にはローツェ南壁の女神が特別に優しくしてくれたように思えてならない。
なお、今回の我々のルートは、チェセンが登ったとされる標高8200mの岩壁を大きく右に巻いている。チェセンがローツェ南壁を登ったかどうかという、登山史上の謎は解き明かされないままだ。また、クーロワール最深部まで訪れた先人は、1985年、87年、89年と3度にわたって挑戦したポーランド隊と思われる。


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